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サニーベール (カリフォルニア州) : ミニ英和和英辞書
サニーベール (カリフォルニア州)[す, しゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [す, しゅう]
 (n) sandbank

サニーベール (カリフォルニア州) : ウィキペディア日本語版
サニーベール (カリフォルニア州)[す, しゅう]

サニーベール(、、またはサニバル、)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタクララ郡の都市であり、シリコンバレーを作り上げている主要都市の一つである。2000年国勢調査での人口は131,760人だったが2010年140,018人と6%以上増加した。
サニーベール市の北はサンノゼ市の部分、北西はモフェット連邦飛行場、西はマウンテンビュー市、南西はロスアルトス市、南はクパティーノ市、東はサンタクララ市に取り囲まれている。歴史あるエル・カミノ・レアル(スペイン語で王道)およびアメリカ国道101号線が市内を通っている。
サニーベール市には、シリコンバレーの一部としてジュニパーネットワークスパームAMDネットアップスパンションヤフー!、シムコ・エレクトロニクス、ミラポイント、アプライドマイクロ、およびアリバなど多くのハイテク企業が本社を構えている。航空宇宙・防衛産業の会社もある。ロッキード・マーティンが大きな施設を持っており、他にハネウェルノースロップ・グラマン電子システムの海洋システム(ヘンディ鉄工博物館がある)、およびスピレント・コミュニケーションズも市内に事務所を構えている。またオニヅカ空軍基地もあり、その本館は地元でブルーキューブと呼ばれていて、最も目立つものになっている。この基地はスペースシャトル・チャレンジャー事故で亡くなった宇宙飛行士エリソン・オニヅカに因んで名付けられており、2010年8月まではアメリカ軍の主要な人工衛星制御施設だった。
サニーベールは、統合された単一の公衆安全部を持っている数少ない都市の一つであり、この部門に属する全ての人が消防、警察および救急救命活動に携われるよう訓練され、この3つの役割のどれでも緊急事態に対応できるようになっている。
市民への図書館として市民センターに入っているサニーベール公共図書館がある。
== 歴史 ==
1770年代スペイン人がサンタクララ・バレーに初めて入ったとき、多くのオーローン族インディアンが住んでいた。1777年キリスト教徒に改宗したオーローン族インディアンがサンタクララ伝道所を建設した。
1842年、フランシスコ・エストラーダとその妻イネス・カストロにランチョ・パストリア・デ・ラス・ボレガスの土地特許が認められた。この土地の一部が後に発展してマウンテンビュー市やサニーベール市となった。その2年後の1844年、ルーペ・イニホに別の土地特許が認められ、特許された土地を持つ数少ないインディアンの一人となった。その土地は地域にあったオーローン族インディアンのポソルミ集落に因んで当所はランチョ・ポソロミと呼ばれた。ランチョ・ポソロミは後にランチョ・イニホと呼ばれるようになった。
1844年にスティーブンス=タウンゼンド=マーフィー隊の一部としてマーティン・マーフィー・ジュニアとその父がカリフォルニアに到着した。1850年、マーフィーはランチョ・パストリア・デ・ラス・ボレガスの一部を12,500ドルで購入した。マーフィーはこれを小麦畑と牧場にして、「ベイビュー」と名付けた。サンタクララ郡では初めてニューイングランドから運んだ木材で木造家屋を建設した。この家は1961年に解体されたが、2008年にサニーベール歴史遺産公園博物館として再建された。マーフィーが1884年に死んだとき、その土地は相続人の間で分割された。
1860年、サンフランシスコ・サンノゼ鉄道がベイビューに軌道を敷設することを認められ、マーフィー駅を建設した。ベイビューの南端には後にローレンス駅が造られた。
1870年代、郡の資産税法、小麦の輸入および土壌の劣化によってサンタクララ郡では小麦生産が経済的に立ちゆかなくなった。大きな小麦農園に代わって小さな果樹園が造られた。1871年、ジェイムズ・ドーソンとエロイーズ・ドーソンがサンタクララ郡では初めての果物缶詰工場を建設した。間もなく果樹栽培と缶詰が郡の主要産業になった。冷蔵貨車が発明され、果物に依存する経済の可能性がさらに高まった。1886年には果樹園が大半を占めるようになったので、サンノゼ貿易委員会はサンタクララ郡を「世界の庭園」と呼んだ。
1880年代中国人労働者がサンタクララ郡の農園労働者の48%を占めるようになった。この比率は中国人排除法が成立した後は時間をかけて減少した。その後1890年代にはイタリアアゾレス諸島ポルトガルおよび日本からの移民が果樹園で働くようになった。
1897年、ウォルター・エバレット・クロスマンが200エーカー (809,000 m²) の土地を購入し、不動産販売を始めた。彼はこの地域を「美しいマーフィ」として広告した。その後の1900年代、クロスマンはこの地を「宿命の都市」と表現した。1897年にはまた、マーフィーでは初の学校としてエンシーナ学校が開校した。これより以前、町の子供達はマウンテンビューの学校まで通う必要があった。
1901年、マーフィーの住人はその郵便局にエンシーナル、あるいはマーフィーという名前を使えないと知らされた。彼等は町の名前としてサニーベールを使うことにした。
サニーベールは成長を続け、1904年にはドライフルーツの生産が始まった。その2年後、シカゴの食肉加工会社であるリビー・マクニール・アンド・リビー社がサニーベールでは初の果物加工工場を開設することを決めた。今日リビー社の初期フルーツ・カクテルに似せた色に塗った揚水塔が、工場のあった場所を示している。
1906年、ジョシュア・ヘンディ鉄工所が1906年サンフランシスコ地震による火事にあって会社の建物が破壊されたとき、サンフランシスコからサニーベールに移転してきた。この鉄工所が町では初めての非農業産業だった。ジョシュア・ヘンディ鉄工所は鉱業用設備の生産から舶用蒸気機関などの生産に切り替えた。
1912年、サニーベール住民は住民投票によって市制執行に賛成し、サニーベールは公式の市になった。
1923年に初の高校であるフレモント高校が開校した。そこは学校が開校する前や第二次世界大戦の間は軍事基地として機能していた。1933年に開港したモフェット基地との間を飛行機が飛来し、ここでは燃料補給を行うのが通常だった。1948年の年鑑では、軍用機がある建物の所に駐機し、それを近くで生徒達が眺めている様子が分かる。フレモント高校の構内には第二次世界大戦後に建設されたかまぼこ形兵舎など昔の軍用建造物があり、現在はレスリングチームの施設に使われている。
1930年アメリカ合衆国議会はサニーベールに西海岸飛行船基地を置くことを決めた。このアメリカ海軍の航空基地は後にモフェット海軍航空基地と名付けられ、その後モフェット連邦飛行場となり、現在はモフェット飛行場と呼ばれている。
1939年、アメリカ宇宙開発諮問委員会(現在のNASAの前身)が、エイムズ研究所で研究を開始した。
第二次世界大戦の間、戦争経済によってサンタクララ郡は果物産業からハイテク産業にシフトする機会に恵まれた。ジョシュア・ヘンディ鉄工所は戦争遂行を支援するために舶用蒸気機関、艦砲およびロケット発射機などを生産した。防衛産業が成長するにつれて、農業生産人口が不足するようになった。メキシコからの移民がこの空隙を埋めた。
戦後、果樹園やトウモロコシ農園がなくなり、家屋、工場および事務所が造られていった。1956年、航空機メーカーのロッキード社がその本社をサニーベールに移した。このとき以降、数多いハイテク企業が事務所や本社をサニーベール市に造った。その中にはアドバンスト・マイクロ・デバイセズやヤフーがある。初期ビデオゲームの1つ、『ポン』のプロトタイプが1972年9月にアンディー・キャップスというバーに設置された〔''Pong, video game'' at arcade-history.com〕〔Scott Cohen, ''Zap! The Rise and Fall of Atari'', ISBN 0-07-011543-5 (McGraw-Hill, 1984)〕。このバーは現在ルースター・T・フェザーズになっている。
2002年には僅かに残っていた果樹園が廃止され、家屋や店舗に代わった。しかし、サニーベール・コミュニティセンターに隣接する歴史遺産果樹園のように市が所有する果樹園が残っている。
1979年、歴史ある中心街ショッピング地区であった所に、サニーベール・タウンセンターと呼ばれる屋内型ショッピング・センターがオープンした。このショッピング・センターは数年間は成功したものの1990年代には衰退を始めた。店舗配置や経営者の入替などが行われた後、2007年には解体され、その跡地に新しい中心街ショッピング地区が建設されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「サニーベール (カリフォルニア州)」の詳細全文を読む




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